[トップページ]   ハイキング同好会トップ


ハイキング同好会活動報告

1.日時・場所 2014年10月4日(土)8:40〜14:30 鎌倉駅東エリアの寺社見学と祇園山ハイキング
2.スケジュール 08:40 JR逗子駅集合 横須賀線で鎌倉へ 鎌倉駅で観光ガイドの道田さんと合流
09:00〜12:45 大功寺〜蛭子神社〜本覚寺〜妙本寺〜常栄寺〜八雲神社〜祇園山ハイキングコース(祇園山、屏風山)〜腹切りやぐら〜東勝寺跡〜東勝寺橋〜藤綱旧跡〜土佐坊邸跡〜妙隆寺〜日蓮辻説法跡
12:50〜14:30 カジュアルフレンチレストラン「フィデリテ」にて昼食昼食後現地解散
3. 参加人数等 第35回のハイキングは「身近だけど行ってそうで行っていない」鎌倉駅東エリアの寺社見学と祇園山ハイキングコースの山歩きをした後小町通り裏ののオシャレなフレンチレストランでランチを、というコース設定でしたが、お天気にも恵まれ女性10名、男性15名、合計25名の参加で初秋の鎌倉路を満喫した一日となりました。




去年もお世話になった鎌倉ガイド協会の道田清隆さんに本日の予定を伺って出発です。

先ずは「おんめさま」の名で親しまれている安産祈願の寺、大功寺。源頼朝がこの寺で軍議の後大勝利を収め名が改まったそうで、檀家を持たないことや花の寺としても有名。

夷堂橋付近にあった夷三郎社という神社が本覚寺創建(1429〜41)の際、その境内に移されて夷堂になりましたが明治に入り現在地に移り蛭子神社となったそうです。

蛭子神社でまず全員集合。

続いての本覚寺は頼朝が幕府の守り神として建立した天台宗系の夷堂を日出が日蓮宗に改め足利持氏の支援で1436年に創建。二代目住持の日朝は後に身延山の住持になった際日蓮の遺骨を本覚寺に分骨し「東身延」と呼ばれるようになりました。

悲劇の一族比企氏が眠る幽玄な杉の寺、妙本寺に到着。

このあたりは「比企谷」と呼ばれ吾妻鑑には北条正子が頼家出産のため比企の尼宅に入ったとあります。

葉擦れの音がする静寂な四脚門の総門と本堂。総門は実は関東大震災で倒壊し大正14年に再建されたもの。

本尊の「十界大曼荼羅御本尊」は日蓮上人自筆の曼荼羅で「蛇形の御本尊」と呼ばれ門外不出の秘宝です。

妙本寺本堂前で2回目の集合写真。

比企一族の墓前でガイドの道田さんの説明を聞きます。

源氏と比企氏、北条氏との関係も詳しくお聞きしました。

妙本寺境内の大銀杏の周りでは思わぬお土産もゲット。

幕府に捕えられ刑場に引かれていく日蓮上人に一人の尼が胡麻のぼたもちをささげたという故事が寺の由来の通称「ぼたもち寺」常栄寺。

大町の鎮守、鎌倉最古の「厄除け・開運」の社、八雲神社でガイドの道田さんにも入ってもらって集合写真。

ここからいよいよ本日のハイライト祇園山ハイキングコースに入ります。

しばらく山道を歩くと祇園山の頂上へ。目の前に由比ヶ浜と相模湾が見えます。

祇園山山頂でしばし休憩。

結構急な坂道も越えてもう一息。

園山ハイキングコースを下って東勝寺跡に出たところに腹切りやぐらが。鎌倉幕府が新田義貞に攻められた最後の砦が東勝寺跡で北条高時が自刃したと伝えられています。

東勝寺跡は北条泰時が母追善のため1237年に建立、平成8年の調査では建物跡が発見され石垣が要塞的に積み上げられていて国の史跡にもなっています。

東勝寺橋は滑川の川面と周囲の緑と青砥藤綱の伝説が息づいたとても美しい場所でした。

歩いて渡ると良く分かりませんが東勝寺橋は大正13年に建造されたアーチ橋で鎌倉市景観重要建築物にも選ばれた美しい橋です。

江の島七福神「寿老人」の日蓮宗妙隆寺に到着。

このあたりは鎌倉時代頼朝の重臣千葉常胤以来千葉氏代々が居住していて千葉屋敷跡と云われていました。

若宮大路を渡って鶴岡会館裏の昼食会場を目指します。

小さな裏庭が美しいフレンチレストラン「フィデリテ」を貸し切ってランチです。

とりあえず良く冷えたヱビスで乾杯!

まず最初にランチコースの前菜をいただき。

選べるメインの一番人気は「もち豚のロースト」。

二番人気の「本日のお魚スズキのポワレ」。

最後のデザートまで皆さん良く食べ良くしゃべって御馳走様でした。

山口会長のご挨拶でお開き。お疲れ様でした。