【ハイキングレポート】 第46回大磯旧吉田邸を訪ねて

1.日時  10月14日(土)7:45 JR逗子駅前

2.スケジュール

・旧吉田邸までの交通路時刻表:逗子発車 8時 ~大船経由 ~大磯着8;39 ~乗換神奈中バス8:45~城山公園前着8:50 ~徒歩 ~旧吉田邸着9時

・旧吉田邸見学と庭園散策:           10:50 迄

・隣の城山公園(旧三井別荘)散策、資料館見学: 11:50 迄

・城山公園前 ~バスで直行~平塚駅前土(と)風炉(ふうろ)で昼食し解散  12:00 ~14:00

3.参加者 7名(ハイキングサークル会員5名、ご家族2名、ガイド1名)

4.ハイキングの様子等

[吉田邸見学と庭園の散策]

ハイキング当日は、旧吉田邸に大型バスで団体の方が大勢が訪れると聞いたので、我々ハイキングサークルは混雑を避けるために、9時開門と同時に旧邸宅に滑り込んだ。玄関先で学芸員が我々を迎え、各部屋の案内をしていただいた。1階は洋間で、我国及び諸外国から来られたトップクラスの政財界のお客様を迎えるための落ち着いた雰囲気の応接間、大食堂(ローズホール)であった。

2階に上がると畳の間は、書斎兼応接間であった。親しい身近な人も通す部屋である。吉田茂の私的な書斎で、官邸直通の黒電話が置いてある。国家の緊急時には、首相がすぐに判断し対応せねばならない厳しさを感じた。

新館2階は、プライベート用の日本間が拡がり、居間(金の間)からは箱根、富士山がくっきり望まれるはずであったが、生憎厚い雲に覆われ想像だけ。吉田茂はまず富士山を見てから朝食をとったらしい。隣は寝室兼書斎(銀の間)である。金、銀といっても成金趣味ではなく、渋い色合いであり落ち着いた気分になる。

吉田茂は終戦後の混乱を治めねばならず、思い切った政策をとることもあったので反対派がおり、暗殺まで企てる賊が邸宅に侵入したそうだ。深夜寝室に近づいた賊は、全く安心しきって安らかに寝ている吉田茂をみて、暗殺するのは忍びないとあきらめたとの逸話を聞いた。

しかし、賊の侵入する危険性は続いているため、寝室の窓側の隅に、まるで忍者屋敷のように1階に降りる秘密の縦トンネルをこしらえ、1階の隠し扉から外に逃げられるようにしている。

このトンネルを吉田茂は使わずに済んだそうである。吉田茂は太っているので、もしそのトンネルを使おうとしてもお腹がトンネルにつかえて降りられなかったであろう。

旧吉田邸の主要部分は、近代数寄屋建築で有名な吉田五十八が設計しており、彼は葉山町の日本画家・山口蓬春宅も設計している。そういえば蓬春家の屋根も数寄屋作りで南側のガラス戸が大きく日差しが一杯入るように設計され旧吉田邸と似ていると思った。それから、旧吉田邸の周りを囲む森の小道を散策し、太平洋に向かって立っている吉田茂の銅像を見てサンフランシスコ講和条約のことを思い出し、邸内中央の庭園までひと巡りした。

庭園の傍に七賢堂があり、元勲7人(伊藤博文、岩倉具視、大久保利通、三条実美、木戸孝允、西園寺公望、吉田茂)が祭られていた。ハイキングはさらに、城山公園、平塚駅前まで続くが、今回ハイキングの総歩行距離(8,000歩位)を記して終わります。