【ハイキングレポート】第62回「三浦一族終焉の地散策」

集合場所 京急逗子・葉山駅
日時   202433815集合
参加者  男性10名 女性6名 計16

コース 京急三崎口→バス(引橋バス停)→引橋→高山の義士塚→高山の庚申等塔群
海蔵寺下→白髭神社→永昌寺→新井城跡→三浦道寸の墓→ホテル京急油壷観潮荘

昼食  ホテル京急油壷観潮荘レストラン潮騒

2024年最初のハイキングはお馴染みの湯田さん(三浦半島歴史散歩の会)にご案内いただき三浦半島油壷周辺で「三浦一族終焉の地散策」を行いました。京急三崎口で湯田さんと合流し
134
号線まではバス、県道26号線(横須賀三崎線)から先は徒歩で男性10名、女性6
名、計16名が参加しました。
当日は絶好のハイキング日和の中、315日で惜しまれつつ閉館するホテル京急油壷観潮荘のレストラン潮騒で最後のランチも頂き早春の三浦半島を満喫した一日となりました。尚、行程中の歩行距離は6.2㎞、歩数は9,956歩(鈴木良太さんのスマホによる)でした。

 

【ハイキングレポート】第61回「丸の内から銀座・築地散策」

JR東京駅丸の内南口
JR東京駅丸の内南口
東京国際フォーラム(太田道灌像)
銀座4丁目交差点(和光)
東銀座・歌舞伎座
築地本願寺
築地場外市場
築地場外入り口
銀座7丁目「ライオン」
銀座7丁目「ライオン」
銀座7丁目「ライオン」
銀座7丁目「ライオン」

集合場所/時間 JR東京駅丸の内南口改札 10:00集合

男性10名 女性4名の計14名

コース   JR東京駅丸の内南口→東京国際フォーラム(太田道灌像)→銀座4丁目交差点(和光)→東銀座・歌舞伎座→築地本願寺→築地場外市場→銀座歩行者天国→銀座7丁目「ライオン」で12時半に解散、有志11名で乾杯

2019年10月26日(土)の第55回以来の東京散策。今回は丸の内から築地までを歩きました。ここ10年ほどで、丸の内、銀座も、かなり変貌を遂げています。太田道灌像は、都庁の新宿移転に伴って移築されたもの。歌舞伎座も10年前にリニューアル。背後に高層ビルが建てられました。コロナがあけて、築地の場外市場にも多くの人が押し寄せています。「ライオン」の1階、ビアホールは、ステンドグラスが美しいレトロな空間で、つまみ類も充実。予約不可のビアホールに、有志11名が待たずに入れたのはラッキーでした。

【ハイキングレポート】第60回「横浜山手西洋館巡りと桜」

《概要》日時・場所 2023年4月1日(土)「横浜山手」

参加者:男性7名、女性3名の計10名

スケジュール

JR石川町駅元町口9:50集合。

山手イタリア山庭園内のブラフ18番館、外交官の家をともに内部見学。

山手本通りのカトリック山手教会を右折し、横浜山手テニス発祥記念館を見学。その横にある桜の前で写真撮影。

ベーリック・ホールを内部見学。裏の桜の大木を見た後、山手外国人墓地、横浜市イギリス館、港の見える丘公園を経て、横浜中華街の近くで12:30解散。

好天に恵まれ、満開の桜を楽しみながらの散策となった。

「山手イタリア山庭園の外交官の家の前」
「横浜テニス発祥記念館横の桜」
「港の見える丘公園」

 

【ハイキングレポート】第59回 「田浦梅の里と県立塚山公園」

《概要》

日時・場所 2023年3月4日(土)

「田浦梅の里と県立塚山公園」

参加者:男性11名、女性6名の計17名

スケジュール

JR逗子駅改札口9時集合。横須賀線でJR田浦駅へ。そこから徒歩で旧田浦梅林を経由し、急階段を上って田浦梅の里へ。芝生広場を抜け、展望台から横須賀湾の景色を堪能。梅林も満開に近く、花見も楽しむことが出来た。

天気にも恵まれ、横須賀港からベイブリッジが見渡せた。

急な太田坂の階段を降り、竹藪の道を抜け、浦賀道へ。横須賀湾に浮かぶ猿島を眺めながら、三浦按針夫妻の墓がある塚山公園。そして長い坂道と階段を降り、京浜急行のガードをくぐって国道16号線に出て、JR横須賀駅で13時に解散。約1万6千歩の行程だった。今回も、まとまった昼食はなく、各自、自由解散となった

JR田浦駅を出発、16号線を渡って田浦梅林へ
田浦梅林入口から急こう配の坂道を上ります
梅の里残念ながら水仙は終わったようですが
青い空をバックに満開の梅の花
まだまだ足取りも軽く満開の梅の林を歩きます
越冬種と思われるアカタテハがのんびり吸蜜中
芝生広場で全員集合
頑張って展望塔にも上りました
上谷先輩は下で休憩
展望塔で全員集合
塚山公園を目指して梅の里を出発
眼下に横須賀港、田浦梅の里から按針塚へ
ウイリアムアダムス(三浦按針)夫妻のお墓をお参り
最後に塚山公園で全員集合
塚山公園をあとにJR横須賀駅を目指して下山です

【ハイキングレポート】第58回 「鎌倉・紅葉巡りハイキング」

≪概要≫

  • 日時・場所

2022年11月26日(土) 「鎌倉・紅葉巡りハイキング」

  • スケジュール

JR逗子駅集合9:00~逗子駅発9:09~北鎌倉駅着9:16~円覚寺~東慶寺~浄智寺~長寿寺~亀ヶ谷坂~海蔵寺~英勝寺~寿福寺~鎌倉駅西口12:15(解散)

(注)食事は時節柄解散後に各自にて取ることとした

  • 参加人数ほか

・男6名、女2名 計8名 (山口雅司、齊藤寛、田中克彦、森川光昭・久美子、大西一之・正子、澁谷直也)

・当日は朝から雨模様のため、当初予定の葛原ヶ丘ハイキングコース経由で源氏山公園に向かうのを諦めて、平地コースで紅葉を楽しむこととなった。

・まさに紅葉の最適な時期であり、円覚寺を始め多くの寺院で素晴らしい景色や色合いが楽しめ、また亀ケ谷坂切通など往時の風情を偲ばせる沿道もあり、皆さん話も弾みながらの道中でした。

・カメラ担当頂いた森川さんが雨天の中での良きショットを捉え、また処々での集合写真も上手に纏められました。

・雨中であまり休憩をとることなく、木々の色づきを鑑賞しつつ歩いた3時間、約14,000歩余のハイキングでした。

=====想い出の フォト=====

①円覚寺総門前
②円覚寺山門への階段
③円覚寺仏殿
④東慶寺山門
⑤東慶寺をあとに
⑥浄智寺参道
⑦長寿寺庭園
⑧海蔵寺門前
⑨海蔵寺本堂前
⑩海蔵寺庭園
⑪海蔵寺十六井戸
⑫亀ヶ谷坂切通し
⑬寿福寺参道
⑭寿福寺境内の紅葉
⑮寿福寺北条政子の墓前で

【ハイキングレポート】 第55回 「世田谷ハイキング」

ハイキング日時: 2019年10月26日(土)

集合場所/時間: JR逗子駅改札口前 8時55分集合

コース: 逗子駅 出発9:08→ 横浜駅で東横線に乗り換え9:48→自由が丘駅で

大井町線に乗り換え九品仏駅に到着10:18→歩いてすぐ(浄真寺)九品仏見学

九品仏駅に戻り電車で等々力駅へ→ 等々力渓谷→ 多摩川堤防→ 上野毛駅迄

ハイキング→ 自由が丘駅に戻る13:30位→ 駅付近の食堂「味の1番」で

乾杯・昼食→現地解散。

第54回ハイキング「伝 古東海道の道筋に沿って 歴史散歩(京急新大津~JR衣笠)」

1.日時:2019年5月26日(日)8:30~15:00 (現地解散)

2.目的地:横須賀市・京急新大津駅~JR衣笠駅

3.スケジュール

京急新逗子駅8時30分集合~新逗子駅8:34発~金沢八景駅・乗り換え・三崎口行き8:45発~新大津駅8:57着、講師・湯田さんと合流

4.参加人数:18名(女5、男13)

5.講師:湯田 明 氏(三浦半島歴史散歩の会)

6.伝 古東海道の道筋に沿って 歴史散歩:約6km弱、徒歩4時間

・京急新大津駅9:00出発―>大津陣屋跡―>天神坂―>岩瀬堰跡―>妙真寺―>神金城址―>宗元寺窯跡・宗元寺跡―>曹源寺・県立横須賀高校裏遺蹟―>公郷庚申塔群―>法塔十字路―>光心寺―>三浦一族将士の墓―>大明寺―>JR衣笠駅(13時頃着)

・JR衣笠駅からバスで横須賀中央へ。昼食は13:30からモアーズ「つきじ植むら」にて、食事後に解散。

7.ひと言歴史旅

(1)新大津駅を出発点とし、案内役の湯田さん作成の「歴史散歩資料」のもと、約4時間の歴史旅が、スタート。

(2)説明によれば、古代の三浦半島には当時の五畿七道の行政区域を通る官道が設けられており、現代では江戸時代の「東海道(旧東海道)」と区別し、「古東海道」と呼ばれているそうで、知らなかったな~。

(3)古東海道の三浦半島での道筋は、鎌倉市(稲村ケ崎から極楽寺坂)から逗子市(披露山の七曲坂)を過ぎ、葉山の上山口・木古庭を経て横須賀の平作・金谷・公郷・大津を通り、走水に通じる道とのこと。

(4)新大津駅は、戦前に海軍の要請を受けて湘南電気鉄道が建設した久里浜線として昭和17年に開業され、平成29年度の平均乗降客は6,900人/日、京急72駅中66位。駅に近接して住居用再開発ビルが建設中。

(5)駅から少し歩けば、134号沿いに幕末に江戸湾防備のために築造された大津陣屋跡が所在するが、当時の面影は殆ど残っていない。その後、陣屋跡に造られた海軍刑務所(戦後は一般刑務所)や海軍練兵場(射的場)も今はなく、木々に囲まれた広大な大津運動公園や住宅地になっており、強い日差しのハイキングにはまさに緑陰。

(6)運動公園から岩瀬堰跡に通じる山間の細い天神坂には、住宅の敷地沿いに地蔵像や庚申塔群が見られ、「鎌倉道」とも「浦賀道」とも言われた古道の面影を偲ばせている。

(7)公郷町に通じる山間の高所では住宅開発が進み、城壁にも似た崖崩れ防止壁とその上に住宅群が連なって、ちょっとした奇景である。道路から階段を上ると室町時代に創建の日蓮宗、妙真寺に着く。入口には江戸中期の寺の財政を賄った共有金に関わる大きな石碑があり、これにより檀家や村の困窮にも役立ったことが伝えられている。また、寺の本尊は釈迦如来像で、市重要文化財の鰐口や梵鐘があり、訪れた際には法要の読経も聴かれた。ここで集合写真を撮り、トイレを拝借し、暫し休憩する。

(8)公郷4丁目の町なかを歩くが、山の斜面崖にあった古墳時代の横穴は既に見られず、鎌倉・室町時代の神金城址も痕跡がないようである。公郷3丁目一帯に大きな敷地を持っていた天平年間に開創された宗元寺については、元弘の乱で建造物は悉く焼失、今ではその痕跡もなく、資料での説明を聴くだけとなった。

(9)県立横須賀高校の裏手にある曹源寺の階段を上ると、本堂、庫裡をはじめ多くの建造物が見られ、国重要文化財の木造十二神将立像が伝わっている。曹源寺は焼失した宗元寺を天正年間に再興したものとも伝えられている。なお、横須賀高校出身の幾人かの参加者は、在校時とは全く違った校舎等を見て、日曜ではあったがチョット覗いてみた。

(10)衣笠栄町裏通りの住宅街には、天明元年と慶応元年に建てられた日蓮上人に関わる2つの石碑があり、古代から交通要衝の交差点であったこの場所は法塔十字路と称されているが、この碑とこれに接した現代建物が何とも不釣り合いに感じた。

(11)衣笠商店街の裏通りの山際に構内を崖崩れ防止壁で囲まれた浄土宗、光心寺があり、古くは横須賀軍港地にあったのが関東大震災後に他の多くの寺同様に移設されたもので、寺内は何か落ち着いた昔ながらの雰囲気が感じられた。

(12)はまゆう会館(公民館)でトイレ休憩を取った後、緩い登りの舞台坂沿いに鎌倉時代の三浦一族に関わりのある風化した五輪塔にお参りしつつ、最後の訪問場所「大明寺」に向かう。

(13)日蓮宗、大明寺は建長年間に創建され、かっては総本山の格式を持つ寺で、道路からは階段を相当数登りそのずっと奥に寺院が見える。残念ながら、参加者の疲労度と昼食処の予約時間から境内入口で資料説明を聴き、集合写真を撮り、昼食の場へと向かった。

(14)ハイキングではいつも気になるのは天候、今回は好天続きでむしろ暑さが心配されたが、最終的には、公園、山間の小道、街中の裏道と緑が多く、全員へばらずに昼食処まで無事到達。先ずは喉を潤し、美味しい食事をいただき、暑さを乗り越え楽しくいろいろ学んだ歴史旅となった。湯田さん、有難うございました。

【ハイキングレポート】 第53回 根岸森林公園でお花見

◆今年は天候異変続きで、3月30日当日まで心配でしたが、参加者皆様のご期待に添って、お花見日和になりました。根岸駅前からバスに乗り5分で小高い根岸森林公園に到着です。◆園内に入ると先ず広さに驚きます。まだ朝方で人出も少ないのでゆったりした気分になります。奥の方に大きな8分咲きの桜の森が望まれます。◆ゆっくり桜の森に向かってハイキング開始です。背の高い桜の森の前に梅の林がありました。3月初め梅園が満開だったそうです。◆広々とした芝生に戻り、満開に咲いた真っ白な桜の大木を背に、森川カメラマンにセルフタイマーで器用に記念写真を撮っていただきました。気持が良いので皆さん笑顔です。 ◆徐々に進むと、幽霊屋敷のような大きな建物が聳えていました。戦前、競馬場として賑わっていた頃に建てられた大見物席です。森林公園は、競馬場トラックの内側が変身して出来たのです。◆公園正門傍の「馬の博物館」で学芸員から近代競馬が横浜根岸から誕生したことを学びました。◆気持ちの良い公園の散歩でお腹が空いてきたので、中華街へ電車で移動です。 中華料理の盛香園せいこうえんに直行です。総勢20名ですから円卓2卓に10名ずつ座り、楽しい食事に舌鼓をうちました。 ◆今回のハイキングには、大西さんから勧誘していただいた新会員2名(奥様も加わり3名)の方が加わり一層賑やかになりました。     ハイキングサークル乾杯!!

 

【ハイキングレポート】第51回 ハイキング(子安の里~立石)

20181027日(土)

「子安の里」は、葉山の「湘南国際村」のすぐ南側に接する丘陵「安らぎの里」です。元気なハイキングメンバーが子安を訪れると一層元気になりそうなコースです。

バスで逗子駅前を出発し、湘南国際村の入り口まかどからハイキングがスタートしました。朝から降っていた雨も止み、子安の里は我々を歓迎してくれました。

◆先ず、西さい行寺こうじを訪れました。古い無人のお寺ですが、傍の墓地には同じ家紋で新旧立派なお墓が並んでいました。◆それから、小菅家(子安の有力家)長屋門を見学し、◆本日のメーンイべント、陶芸家・木村芳之助氏(ハイキング澁谷直明さんの知人)の作品展示場に向かいました。木村さんは、焼やき〆しめで有名な方であり、展示場には皇后陛下がご訪問された写真が飾ってありました。展示場の近くに焼き窯があり、作品を作るときは、徹夜で窯に付きっきりで窯の温度を1000度に保つそうです。◆通りの道の角には、庚申の塔があり、石造りの御幣を担いだお猿の像に目をとめました。

◆そろそろお腹が空いてきたので、これから一挙に海岸に向かいます。きれいな川に沿って久留和に下り、久留和からは海を眺めながら立石に向かいます。立石のイタリヤ料理店DONに到着したのは、どんぴしゃりDONに予約した時間でした。きれいな空気を吸って程よく歩き疲れた体には、イタリア料理と冷たいビールがいつもの2倍ぐらい美味しかったです。 澁谷さん、陶芸家・木村さんをご紹介いただきありがとうございました。

 

【ハイキングレポート】第48回 三浦市「三崎歴史散歩」~中世の残影を求めて~

1.日時:2018年5月19日(土)8:35~14:00 (現地解散)

2.目的地:三浦市・三崎

3.スケジュール

京急新逗子駅8時35分集合~新逗子駅8:45発~金沢八景駅・特急8:56発~久里浜駅・快速9:17発~三崎口駅9:29着、講師・湯田さんと合流~京急三崎口バス停9:40発~東岡バス停~三崎歴史散歩

4.参加人数:10名(女4、男6)

5.講師:湯田 明 氏(三浦半島歴史散歩の会)

6.三崎歴史散歩の行程:約4.5km(坂道・階段あり)

バス停東岡 ~ 円照寺 ~ 大乗寺 ~ 向井氏廟所 ~ 見桃寺 ~白石海岸~宮城秋葉神社 ~ 西ノ浜地蔵堂 ~ 音岸寺 ~城村庚申供養塔 ~ 住吉神社~ 最福寺 ~ 海南神社 ~ 能救寺跡 ~青柳旅館跡 ~三崎番所跡 ~三崎城址 ~本瑞寺 ~光念寺~お石塔さま・波切不動~三崎港~みさき魚市場2階「三崎食堂」にて昼食(「まぐろ三昧定食」)、昼食後に現地解散

7.ひと言歴史旅

(1)心配された雨は止み、三崎に向かう沿線の緑はひときわ深く鮮やかで、ハイキングには程好い天候となった。三崎口駅で、案内役の湯田さんと合流、総勢11名はバスに乗り、港近くの東岡で下車。約3時間の歴史旅は、湯田さんの「歴史散歩資料」と説明とともにスタート。

(2)三崎には、源頼朝や三浦一族にまつわる歴史、北原白秋を始め三浦の自然や人情を愛した多くの文化墨客の足跡が残されている。三崎港は、城ヶ島を天然の防波堤とし、古くは三浦・北条・徳川水軍の根拠地、江戸に出入りする船の「風待ち港」として栄え、今は全国有数の遠洋マグロ漁業基地に発展。

(3)行程の前半は三崎西側の三崎港に面した高台、後半は東側の北条湾に面した三崎城跡の台地の坂道や階段を歩くので、距離は然程ではないが少々覚悟がいる!?

(4)バス道路から少し坂を西に上って、あざやかな「香水山(かすいさん)」の額が掛かる「園照寺(えんしょうじ)」は、文永3年(1266)鎌倉で法満寺として創建されたが、その後に三崎に移転、名前も園照寺に改称された。阿弥陀像を本尊とした由緒ある寺、さして広くない境内には数本の桜の老木がある。

(5)住宅が点在する生活道の先には、「円海山・大乗寺(だいじょうじ)」の門扉があり、本尊は三宝祖師、開山は日範(1310年頃)。境内には、以前、樹齢200年程の対の見事な「鶴亀の松」があった由。

(6)高台から狭い道を下ると、山裾の墓地の一角に、徳川幕府の御船手として活躍した「向井氏廟所(むかいしびょうしょ)」がある。大きく、見事な宝塔形の八基の墓、最大のものは高さ2.3m程。向井氏の先祖は伊賀の国向井の荘に始まり、その後、駿河の今川氏、甲斐の武田氏、徳川家に仕えた。

(7)平地に下りて、住宅に挟まれた「紫陽山・見桃寺(けんとうじ)」に着く。かって桃林があり、頼朝が物見遊山し、「桃の御所」といわれた。北原白秋が寄寓した寺の本堂前には、白秋自筆の歌碑がある。

(8)半島先端西側の相模湾に面した「白石海岸」は、その昔頼朝、政子、子供たちが訪れ、さらには鎌倉武士たちが武芸、行楽に来たとされる。浄土に往生祈願する「來迎会」が行われ、来迎の儀による「歌舞島」の地名が残る。

(9)海岸沿いの道路から急な階段を上がり、火難よけ(火伏せ)の神様を祭る「宮城 秋葉神社」(鳥居に天保12年(1841)の彫り)を拝した後、また急な石段を数十段上ると「西ノ浜地蔵堂」に着く。堂内には、寄木作りの地蔵像が安置されている。境内の「くじら塚 天保5(1834)」は、鯨漁が行われ、鯨の霊を祀ったもので、ここから三崎港が一望できる。

(10)さらに小道を進むと、三浦の観世音菩薩札所三十三寺の第一番札所の「音岸寺(おんがんじ)」、安政7年(1860)に建立の「城村庚申供養塔(じょうむらこうしんくようとう)」がある。

(11)高台にある「泰平山・最福寺(さいふくじ)」は、もとは鎌倉時代に鎌倉・弁ケ谷に建立され、その後に向井政綱屋敷跡の現在地に再々移転。後北条氏の時代には三崎城を防御する軍事拠点の一つとされ、敷地も広く、立派な建物とここからの眺望が素晴らしい。行程の半分ほどなので、お手洗いを拝借し、小休憩。

(12)平地に戻り、三浦郡の惣社とされる「海南神社(かいなんじんじゃ)」は大変に風格ある神社で、藤原鎌足の後裔、藤原資盈(ふじわらのすけみつ)と妃が、祭神として祀つられている。境内には、伝承の頼朝手植えの銀杏、三浦市最古の神明鳥居、権現造り社殿(県指定文化財)、神橋の擬宝珠(ぎぼし)など、例年1月15日奉納の「チャッキラコ」はユネスコの無形文化遺産。

(13)道路沿いの今は駐車場の「照臨山・能救寺跡(のうぐうじあと)」、明治時代に村井弦斎が小説「桜の御所」執筆のため宿泊の「青柳旅館跡」、立派な石垣の「三崎番所跡」を見て、30m程の台地にある「三崎城址」を目指し、最後の坂道を頑張って登る。頂上付近には、大きな「戦没者慰霊碑」など四つの碑が並び、ここからは北条湾(昔の港)、三崎下町が眺望できる。

(14)続いて「三崎城址」の石碑と説明版をみた後、頼朝「桜の御所」跡に建つ「海光山・本瑞寺(ほんずいじ)」に着く。三浦一族の菩提寺で、本尊は地蔵菩薩坐像、三浦道寸の守り本尊とも言われ、境内は然程広くはないが、本堂前に大きな棕櫚の木が聳え、草木が調和した庭を造り、また、江戸時代初期から中期の墓碑、県指定文化財の銅鐘、朝倉文夫作の岩村透の胸像、北村四海の墓や「桜子像」などがある。

(15)隣接する「見龍山・光念寺」は、開祖は和田義盛とされ、門前からの風向は明媚で、遠くに城ケ島、脚下に三崎市街を見渡せ、本堂の天井には英一峰の雲竜図、門を入った右手には弁天堂がある。光念寺から道を下って海南供養碑「お石塔さま」、航海安全祈願の小さなお堂「浪切不動」、台地から街への「百段階段」は中々のもの。

(16)午後一時を過ぎ、街中を一路魚市場2階「三崎食堂」に急いだ。店外に並ぶ客を横目に予約席に到着、まずはビール等で乾杯し、お店の一押し「まぐろ三昧定食」を味わった。3時間余のご案内を頂いた湯田さんにお礼申し上げ、程好い疲労感、爽快感を覚えつつ、現地解散となった。

(17)三崎といえば『マグロ』の印象が強いが、昔より水陸交通の要衝、漁業・良港と防備の重要性から、三崎台地には寺社や城砦跡などの文化遺産が数多く残ることを知り、今回の歴史散歩に感謝し、本日の歩きは総計12,000歩を超えた