第54回ハイキング「伝 古東海道の道筋に沿って 歴史散歩(京急新大津~JR衣笠)」

1.日時:2019年5月26日(日)8:30~15:00 (現地解散)

2.目的地:横須賀市・京急新大津駅~JR衣笠駅

3.スケジュール

京急新逗子駅8時30分集合~新逗子駅8:34発~金沢八景駅・乗り換え・三崎口行き8:45発~新大津駅8:57着、講師・湯田さんと合流

4.参加人数:18名(女5、男13)

5.講師:湯田 明 氏(三浦半島歴史散歩の会)

6.伝 古東海道の道筋に沿って 歴史散歩:約6km弱、徒歩4時間

・京急新大津駅9:00出発―>大津陣屋跡―>天神坂―>岩瀬堰跡―>妙真寺―>神金城址―>宗元寺窯跡・宗元寺跡―>曹源寺・県立横須賀高校裏遺蹟―>公郷庚申塔群―>法塔十字路―>光心寺―>三浦一族将士の墓―>大明寺―>JR衣笠駅(13時頃着)

・JR衣笠駅からバスで横須賀中央へ。昼食は13:30からモアーズ「つきじ植むら」にて、食事後に解散。

7.ひと言歴史旅

(1)新大津駅を出発点とし、案内役の湯田さん作成の「歴史散歩資料」のもと、約4時間の歴史旅が、スタート。

(2)説明によれば、古代の三浦半島には当時の五畿七道の行政区域を通る官道が設けられており、現代では江戸時代の「東海道(旧東海道)」と区別し、「古東海道」と呼ばれているそうで、知らなかったな~。

(3)古東海道の三浦半島での道筋は、鎌倉市(稲村ケ崎から極楽寺坂)から逗子市(披露山の七曲坂)を過ぎ、葉山の上山口・木古庭を経て横須賀の平作・金谷・公郷・大津を通り、走水に通じる道とのこと。

(4)新大津駅は、戦前に海軍の要請を受けて湘南電気鉄道が建設した久里浜線として昭和17年に開業され、平成29年度の平均乗降客は6,900人/日、京急72駅中66位。駅に近接して住居用再開発ビルが建設中。

(5)駅から少し歩けば、134号沿いに幕末に江戸湾防備のために築造された大津陣屋跡が所在するが、当時の面影は殆ど残っていない。その後、陣屋跡に造られた海軍刑務所(戦後は一般刑務所)や海軍練兵場(射的場)も今はなく、木々に囲まれた広大な大津運動公園や住宅地になっており、強い日差しのハイキングにはまさに緑陰。

(6)運動公園から岩瀬堰跡に通じる山間の細い天神坂には、住宅の敷地沿いに地蔵像や庚申塔群が見られ、「鎌倉道」とも「浦賀道」とも言われた古道の面影を偲ばせている。

(7)公郷町に通じる山間の高所では住宅開発が進み、城壁にも似た崖崩れ防止壁とその上に住宅群が連なって、ちょっとした奇景である。道路から階段を上ると室町時代に創建の日蓮宗、妙真寺に着く。入口には江戸中期の寺の財政を賄った共有金に関わる大きな石碑があり、これにより檀家や村の困窮にも役立ったことが伝えられている。また、寺の本尊は釈迦如来像で、市重要文化財の鰐口や梵鐘があり、訪れた際には法要の読経も聴かれた。ここで集合写真を撮り、トイレを拝借し、暫し休憩する。

(8)公郷4丁目の町なかを歩くが、山の斜面崖にあった古墳時代の横穴は既に見られず、鎌倉・室町時代の神金城址も痕跡がないようである。公郷3丁目一帯に大きな敷地を持っていた天平年間に開創された宗元寺については、元弘の乱で建造物は悉く焼失、今ではその痕跡もなく、資料での説明を聴くだけとなった。

(9)県立横須賀高校の裏手にある曹源寺の階段を上ると、本堂、庫裡をはじめ多くの建造物が見られ、国重要文化財の木造十二神将立像が伝わっている。曹源寺は焼失した宗元寺を天正年間に再興したものとも伝えられている。なお、横須賀高校出身の幾人かの参加者は、在校時とは全く違った校舎等を見て、日曜ではあったがチョット覗いてみた。

(10)衣笠栄町裏通りの住宅街には、天明元年と慶応元年に建てられた日蓮上人に関わる2つの石碑があり、古代から交通要衝の交差点であったこの場所は法塔十字路と称されているが、この碑とこれに接した現代建物が何とも不釣り合いに感じた。

(11)衣笠商店街の裏通りの山際に構内を崖崩れ防止壁で囲まれた浄土宗、光心寺があり、古くは横須賀軍港地にあったのが関東大震災後に他の多くの寺同様に移設されたもので、寺内は何か落ち着いた昔ながらの雰囲気が感じられた。

(12)はまゆう会館(公民館)でトイレ休憩を取った後、緩い登りの舞台坂沿いに鎌倉時代の三浦一族に関わりのある風化した五輪塔にお参りしつつ、最後の訪問場所「大明寺」に向かう。

(13)日蓮宗、大明寺は建長年間に創建され、かっては総本山の格式を持つ寺で、道路からは階段を相当数登りそのずっと奥に寺院が見える。残念ながら、参加者の疲労度と昼食処の予約時間から境内入口で資料説明を聴き、集合写真を撮り、昼食の場へと向かった。

(14)ハイキングではいつも気になるのは天候、今回は好天続きでむしろ暑さが心配されたが、最終的には、公園、山間の小道、街中の裏道と緑が多く、全員へばらずに昼食処まで無事到達。先ずは喉を潤し、美味しい食事をいただき、暑さを乗り越え楽しくいろいろ学んだ歴史旅となった。湯田さん、有難うございました。

【ハイキングレポート】 第53回 根岸森林公園でお花見

◆今年は天候異変続きで、3月30日当日まで心配でしたが、参加者皆様のご期待に添って、お花見日和になりました。根岸駅前からバスに乗り5分で小高い根岸森林公園に到着です。◆園内に入ると先ず広さに驚きます。まだ朝方で人出も少ないのでゆったりした気分になります。奥の方に大きな8分咲きの桜の森が望まれます。◆ゆっくり桜の森に向かってハイキング開始です。背の高い桜の森の前に梅の林がありました。3月初め梅園が満開だったそうです。◆広々とした芝生に戻り、満開に咲いた真っ白な桜の大木を背に、森川カメラマンにセルフタイマーで器用に記念写真を撮っていただきました。気持が良いので皆さん笑顔です。 ◆徐々に進むと、幽霊屋敷のような大きな建物が聳えていました。戦前、競馬場として賑わっていた頃に建てられた大見物席です。森林公園は、競馬場トラックの内側が変身して出来たのです。◆公園正門傍の「馬の博物館」で学芸員から近代競馬が横浜根岸から誕生したことを学びました。◆気持ちの良い公園の散歩でお腹が空いてきたので、中華街へ電車で移動です。 中華料理の盛香園せいこうえんに直行です。総勢20名ですから円卓2卓に10名ずつ座り、楽しい食事に舌鼓をうちました。 ◆今回のハイキングには、大西さんから勧誘していただいた新会員2名(奥様も加わり3名)の方が加わり一層賑やかになりました。     ハイキングサークル乾杯!!

 

【ハイキングレポート】第51回 ハイキング(子安の里~立石)

20181027日(土)

「子安の里」は、葉山の「湘南国際村」のすぐ南側に接する丘陵「安らぎの里」です。元気なハイキングメンバーが子安を訪れると一層元気になりそうなコースです。

バスで逗子駅前を出発し、湘南国際村の入り口まかどからハイキングがスタートしました。朝から降っていた雨も止み、子安の里は我々を歓迎してくれました。

◆先ず、西さい行寺こうじを訪れました。古い無人のお寺ですが、傍の墓地には同じ家紋で新旧立派なお墓が並んでいました。◆それから、小菅家(子安の有力家)長屋門を見学し、◆本日のメーンイべント、陶芸家・木村芳之助氏(ハイキング澁谷直明さんの知人)の作品展示場に向かいました。木村さんは、焼やき〆しめで有名な方であり、展示場には皇后陛下がご訪問された写真が飾ってありました。展示場の近くに焼き窯があり、作品を作るときは、徹夜で窯に付きっきりで窯の温度を1000度に保つそうです。◆通りの道の角には、庚申の塔があり、石造りの御幣を担いだお猿の像に目をとめました。

◆そろそろお腹が空いてきたので、これから一挙に海岸に向かいます。きれいな川に沿って久留和に下り、久留和からは海を眺めながら立石に向かいます。立石のイタリヤ料理店DONに到着したのは、どんぴしゃりDONに予約した時間でした。きれいな空気を吸って程よく歩き疲れた体には、イタリア料理と冷たいビールがいつもの2倍ぐらい美味しかったです。 澁谷さん、陶芸家・木村さんをご紹介いただきありがとうございました。

 

【ハイキングレポート】第52回観音崎から走水海岸散歩+湯楽の里温泉

本邦初の午後出発のウオーキング&温泉・宴会ハイキングでした。京急浦賀駅からバスにのり観音崎公園を散策後、東京湾沿いに走水海岸を歩き、横須賀温泉湯楽の里にて入浴&宴会を行いました。幸いにも前日までの曇or雨の予報に反し、晴天となりました。走水海岸のビューポイントからの房総半島、東京湾、横須賀の眺めを堪能致しました。参加者は女性4名、男性8名の合計12名でした。

1.日時:2018年11月17日(土)12:30~18:30

2.スケジュール

〇1230京急新逗子駅ホームに集合

→新逗子駅1234発-[京急電鉄:金沢八景と堀ノ内駅で2回乗換]→浦賀駅1302着→浦賀駅バス停(のりば①、系統 浦3)1316発-[京急バス]→観音崎バス停1330着

→1330 観音崎公園

(観音埼灯台~北門第一砲台跡~海の見晴らし台~戦没船員の碑~うみの子とりで~三軒家砲台跡)

→1450 横須賀美術館~観音崎ボードウォーク~走水神社~御所ヶ崎~東京湾眺望「夕日の富士」~走水水源地~海辺の散歩道「うみかぜの路」

〇1600 横須賀温泉「湯楽の里」(風呂1時間+宴会1.5時間)

→1830解散

【ハイキングレポート】第48回 三浦市「三崎歴史散歩」~中世の残影を求めて~

1.日時:2018年5月19日(土)8:35~14:00 (現地解散)

2.目的地:三浦市・三崎

3.スケジュール

京急新逗子駅8時35分集合~新逗子駅8:45発~金沢八景駅・特急8:56発~久里浜駅・快速9:17発~三崎口駅9:29着、講師・湯田さんと合流~京急三崎口バス停9:40発~東岡バス停~三崎歴史散歩

4.参加人数:10名(女4、男6)

5.講師:湯田 明 氏(三浦半島歴史散歩の会)

6.三崎歴史散歩の行程:約4.5km(坂道・階段あり)

バス停東岡 ~ 円照寺 ~ 大乗寺 ~ 向井氏廟所 ~ 見桃寺 ~白石海岸~宮城秋葉神社 ~ 西ノ浜地蔵堂 ~ 音岸寺 ~城村庚申供養塔 ~ 住吉神社~ 最福寺 ~ 海南神社 ~ 能救寺跡 ~青柳旅館跡 ~三崎番所跡 ~三崎城址 ~本瑞寺 ~光念寺~お石塔さま・波切不動~三崎港~みさき魚市場2階「三崎食堂」にて昼食(「まぐろ三昧定食」)、昼食後に現地解散

7.ひと言歴史旅

(1)心配された雨は止み、三崎に向かう沿線の緑はひときわ深く鮮やかで、ハイキングには程好い天候となった。三崎口駅で、案内役の湯田さんと合流、総勢11名はバスに乗り、港近くの東岡で下車。約3時間の歴史旅は、湯田さんの「歴史散歩資料」と説明とともにスタート。

(2)三崎には、源頼朝や三浦一族にまつわる歴史、北原白秋を始め三浦の自然や人情を愛した多くの文化墨客の足跡が残されている。三崎港は、城ヶ島を天然の防波堤とし、古くは三浦・北条・徳川水軍の根拠地、江戸に出入りする船の「風待ち港」として栄え、今は全国有数の遠洋マグロ漁業基地に発展。

(3)行程の前半は三崎西側の三崎港に面した高台、後半は東側の北条湾に面した三崎城跡の台地の坂道や階段を歩くので、距離は然程ではないが少々覚悟がいる!?

(4)バス道路から少し坂を西に上って、あざやかな「香水山(かすいさん)」の額が掛かる「園照寺(えんしょうじ)」は、文永3年(1266)鎌倉で法満寺として創建されたが、その後に三崎に移転、名前も園照寺に改称された。阿弥陀像を本尊とした由緒ある寺、さして広くない境内には数本の桜の老木がある。

(5)住宅が点在する生活道の先には、「円海山・大乗寺(だいじょうじ)」の門扉があり、本尊は三宝祖師、開山は日範(1310年頃)。境内には、以前、樹齢200年程の対の見事な「鶴亀の松」があった由。

(6)高台から狭い道を下ると、山裾の墓地の一角に、徳川幕府の御船手として活躍した「向井氏廟所(むかいしびょうしょ)」がある。大きく、見事な宝塔形の八基の墓、最大のものは高さ2.3m程。向井氏の先祖は伊賀の国向井の荘に始まり、その後、駿河の今川氏、甲斐の武田氏、徳川家に仕えた。

(7)平地に下りて、住宅に挟まれた「紫陽山・見桃寺(けんとうじ)」に着く。かって桃林があり、頼朝が物見遊山し、「桃の御所」といわれた。北原白秋が寄寓した寺の本堂前には、白秋自筆の歌碑がある。

(8)半島先端西側の相模湾に面した「白石海岸」は、その昔頼朝、政子、子供たちが訪れ、さらには鎌倉武士たちが武芸、行楽に来たとされる。浄土に往生祈願する「來迎会」が行われ、来迎の儀による「歌舞島」の地名が残る。

(9)海岸沿いの道路から急な階段を上がり、火難よけ(火伏せ)の神様を祭る「宮城 秋葉神社」(鳥居に天保12年(1841)の彫り)を拝した後、また急な石段を数十段上ると「西ノ浜地蔵堂」に着く。堂内には、寄木作りの地蔵像が安置されている。境内の「くじら塚 天保5(1834)」は、鯨漁が行われ、鯨の霊を祀ったもので、ここから三崎港が一望できる。

(10)さらに小道を進むと、三浦の観世音菩薩札所三十三寺の第一番札所の「音岸寺(おんがんじ)」、安政7年(1860)に建立の「城村庚申供養塔(じょうむらこうしんくようとう)」がある。

(11)高台にある「泰平山・最福寺(さいふくじ)」は、もとは鎌倉時代に鎌倉・弁ケ谷に建立され、その後に向井政綱屋敷跡の現在地に再々移転。後北条氏の時代には三崎城を防御する軍事拠点の一つとされ、敷地も広く、立派な建物とここからの眺望が素晴らしい。行程の半分ほどなので、お手洗いを拝借し、小休憩。

(12)平地に戻り、三浦郡の惣社とされる「海南神社(かいなんじんじゃ)」は大変に風格ある神社で、藤原鎌足の後裔、藤原資盈(ふじわらのすけみつ)と妃が、祭神として祀つられている。境内には、伝承の頼朝手植えの銀杏、三浦市最古の神明鳥居、権現造り社殿(県指定文化財)、神橋の擬宝珠(ぎぼし)など、例年1月15日奉納の「チャッキラコ」はユネスコの無形文化遺産。

(13)道路沿いの今は駐車場の「照臨山・能救寺跡(のうぐうじあと)」、明治時代に村井弦斎が小説「桜の御所」執筆のため宿泊の「青柳旅館跡」、立派な石垣の「三崎番所跡」を見て、30m程の台地にある「三崎城址」を目指し、最後の坂道を頑張って登る。頂上付近には、大きな「戦没者慰霊碑」など四つの碑が並び、ここからは北条湾(昔の港)、三崎下町が眺望できる。

(14)続いて「三崎城址」の石碑と説明版をみた後、頼朝「桜の御所」跡に建つ「海光山・本瑞寺(ほんずいじ)」に着く。三浦一族の菩提寺で、本尊は地蔵菩薩坐像、三浦道寸の守り本尊とも言われ、境内は然程広くはないが、本堂前に大きな棕櫚の木が聳え、草木が調和した庭を造り、また、江戸時代初期から中期の墓碑、県指定文化財の銅鐘、朝倉文夫作の岩村透の胸像、北村四海の墓や「桜子像」などがある。

(15)隣接する「見龍山・光念寺」は、開祖は和田義盛とされ、門前からの風向は明媚で、遠くに城ケ島、脚下に三崎市街を見渡せ、本堂の天井には英一峰の雲竜図、門を入った右手には弁天堂がある。光念寺から道を下って海南供養碑「お石塔さま」、航海安全祈願の小さなお堂「浪切不動」、台地から街への「百段階段」は中々のもの。

(16)午後一時を過ぎ、街中を一路魚市場2階「三崎食堂」に急いだ。店外に並ぶ客を横目に予約席に到着、まずはビール等で乾杯し、お店の一押し「まぐろ三昧定食」を味わった。3時間余のご案内を頂いた湯田さんにお礼申し上げ、程好い疲労感、爽快感を覚えつつ、現地解散となった。

(17)三崎といえば『マグロ』の印象が強いが、昔より水陸交通の要衝、漁業・良港と防備の重要性から、三崎台地には寺社や城砦跡などの文化遺産が数多く残ることを知り、今回の歴史散歩に感謝し、本日の歩きは総計12,000歩を超えた

 

 

 

逗葉三田会70周年記念 防衛大学校見学会のお知らせ

逗葉三田会は、1948年(昭和23年)に発足し、本年2018年(平成30年)に70周年を迎えました。
ハイキングサークルは70周年を記念し、母校慶應義塾とも親しい防衛大学校の見学会を企画しました。 会員の皆様是非ご参加ください。(逗子・葉山に在住、在勤、その他縁のある塾員の方でしたら、現在逗葉三田会会員でない方でも大歓迎です。)

防衛大学校は、戦後吉田首相の発案で設立され、首相と親しかった小泉信三元塾長の推挙で槇智雄教授が初代学校長になられ、その後第6代学校長に松本三郎・元慶大教授が就任され、現在第9代学校長に国分良成・元慶大教授が就任されています。

日時  4月18日(水)8:30〜14:00

概要 8:30 逗子集合
10:00〜 防大主要施設見学
12:00〜 昼食(弁当代は参加者各自負担)
機会があればパレード見学
14:00頃 現地解散

見学会の参加を希望される方(家族含む)は、3月15日(木)までにお申し込みください。

※下記のフォームより以下の項目をご記入の上ご応募ください。
・氏名(漢字)
・氏名(ふりがな)
・年齢
・性別
・職業(or学年)
・卒業年次/学部
・自宅住所
・電話番号

【ハイキングレポート】第47回 初冬の鎌倉を歩く-永福寺(ようふくじ)跡と歴史文化交流館-

【日 時】

平成29年12月2日(土)午前9時~午後3時頃

【行 程】

9時00分  JR逗子駅改札周辺集合

9時13分  鎌倉駅着

9時16分  バス乗車(④番乗り場から大塔宮行きで終点「大塔宮」下車)

徒歩で永福寺跡へ

9時30分  永福寺跡着 自由見学

10時00分  永福寺跡出発

10時10分  鎌倉宮着 自由見学

10時40分  鎌倉宮発 「荏柄天神社」に立ち寄り鶴岡八幡宮から昼食会場へ

11時30 分  昼食会場(鎌倉山下飯店)

13時00分  昼食会場発

13時30分  鎌倉歴史文化交流館着 学芸員のレクが約1時間。その後自由解散

【概 要】

穏やかな初冬の1日、鎌倉を歩いた。今回のテーマは、「永福寺」。国指定史跡・永福寺は、源頼朝が奥州合戦等で亡くなった源義経や藤原泰衡ら数万の将兵の鎮魂のために建てた寺院。昭和56年度に試掘調査を開始して以来、平成19年度まで発掘調査が続けられてきた。大塔宮から10分ほど歩き永福寺跡に着いた後は、敷地内を散策、解説のプレートをたよりに往時の姿を偲んだ。来た道を戻り鎌倉宮で小休止し、荏柄天神社に立ち寄ってから鶴岡八幡宮の境内に入り段蔓を通り、昼食会場である「鎌倉山下飯店」へ。

老舗の中華料理店の個室で丸テーブルに分かれ、軽めのコース料理をいただいた後、同店から15分ほどの鎌倉歴史文化交流館へ出発した。

平成29年5月にオープンした同館は、イギリスの世界的な建築家であるノーマン・フォスターが設計に関わり、「Kamakura House」として2004年に竣工した。学芸員から建物の来歴や特徴、開催中の企画展「甦る永福寺-史跡永福寺跡整備記念-」の見どころなどを聴いた後、自由に館内外を見学した。折しも紅葉が見ごろであり、斬新な建物との「自然と人工の調和」を体感できた。高低差の少ない距離も無理のないハイキングであったが、鎌倉の新たな観光スポットを堪能できた。参加者20名。

 

 

 

【逗葉三田会ハイキング番外編台湾ツアー2017】

1.日時・場所  2017年11月10日~13日  台湾(台南~高雄)

2.スケジュール 1日目 11/10(金)東京(羽田)→台北(松山)→台南

07:20 羽田空港集合

09:20 ANA851便にて出発

12:40 入国審査後台北駅へ

14:46 台湾新幹線にて台南へ

16:32 台南到着後ホテルコッツイ台南にチェックイン

17:00 神農老街(古い街並み)散策

18:00 阿霞飯店にて海鮮料理の夕食

 

2日目 11/11(土)台南→高雄

08:30 バスにて安平樹屋~安平古堡~安平老街~赤嵌楼~

天壇観光

12:30 度小月にて台南料理の昼食

13:30 孔子廟~延平郡王祠観光後高雄へ

16:00 高雄澄清湖湖畔でミニハイキング

18:00 85スカイタワーホテルにチェックイン

19:30 蟳之屋にて海鮮料理の夕食

20:30 六合夜市散策

 

3日目 11/12(日) 高雄→墾丁→鵝鑾鼻

08:30 バスにて高雄~墾丁森林遊楽区にてハイキング

12:00 凱旋墾丁ホテルにて昼食

13:00 台湾最南端の鵝鑾鼻(岬)にてバシ―海峡を臨む

17:00 高雄帰着後 壽山公園~打狗旧英国領事館文化園区観光

19:45 老四川にて四川火鍋の夕食

 

4日目 11/13(月) 高雄→台北→東京

09:30 蓮池潭にて龍虎塔観光

11:00 新幹線にて左営駅→台北駅

昼食は台湾高鉄の駅弁を賞味

12:59 台北到着後免税店にてお土産購入

16:50 ANA854便にて台北松山を出発

20:40 東京羽田空港到着

21:00 通関後解散

3. 参加人数等 今回は一昨年に実行したハイキング番外編の2回目として、台南・高雄と台湾南部をターゲットにして企画しました。台湾の京都ともいわれる古都台南ではオランダ統治時代の安平古堡や生命力旺盛なガジュマルの樹に絡めとられた家屋、あるいはオランダを駆逐した鄭成功を祭った廟等を見学し古い台湾を偲び、さらに高雄ではツアーではなかなか行くことのない台湾最南端の鵝鑾鼻(岬)や墾丁森林遊楽区の散策を楽しみました。今回はサークルのメンバー8名と家族6名の計14名が参加し、11月中旬というのに半袖ポロシャツで過ごせる台湾南部のツアーと台湾グルメを堪能して3泊4日のツアーを無事に終えることができました。

【2017.11.10一日目(羽田→台北→台南】

【2017.11.11 二日目(台南→高雄)】

【2017.11.12 三日目(高雄→懇丁→鵝鑾鼻】

【2017.11.13四日目(高雄→台北→羽田)】

【ハイキングレポート】 第46回大磯旧吉田邸を訪ねて

1.日時  10月14日(土)7:45 JR逗子駅前

2.スケジュール

・旧吉田邸までの交通路時刻表:逗子発車 8時 ~大船経由 ~大磯着8;39 ~乗換神奈中バス8:45~城山公園前着8:50 ~徒歩 ~旧吉田邸着9時

・旧吉田邸見学と庭園散策:           10:50 迄

・隣の城山公園(旧三井別荘)散策、資料館見学: 11:50 迄

・城山公園前 ~バスで直行~平塚駅前土(と)風炉(ふうろ)で昼食し解散  12:00 ~14:00

3.参加者 7名(ハイキングサークル会員5名、ご家族2名、ガイド1名)

4.ハイキングの様子等

[吉田邸見学と庭園の散策]

ハイキング当日は、旧吉田邸に大型バスで団体の方が大勢が訪れると聞いたので、我々ハイキングサークルは混雑を避けるために、9時開門と同時に旧邸宅に滑り込んだ。玄関先で学芸員が我々を迎え、各部屋の案内をしていただいた。1階は洋間で、我国及び諸外国から来られたトップクラスの政財界のお客様を迎えるための落ち着いた雰囲気の応接間、大食堂(ローズホール)であった。

2階に上がると畳の間は、書斎兼応接間であった。親しい身近な人も通す部屋である。吉田茂の私的な書斎で、官邸直通の黒電話が置いてある。国家の緊急時には、首相がすぐに判断し対応せねばならない厳しさを感じた。

新館2階は、プライベート用の日本間が拡がり、居間(金の間)からは箱根、富士山がくっきり望まれるはずであったが、生憎厚い雲に覆われ想像だけ。吉田茂はまず富士山を見てから朝食をとったらしい。隣は寝室兼書斎(銀の間)である。金、銀といっても成金趣味ではなく、渋い色合いであり落ち着いた気分になる。

吉田茂は終戦後の混乱を治めねばならず、思い切った政策をとることもあったので反対派がおり、暗殺まで企てる賊が邸宅に侵入したそうだ。深夜寝室に近づいた賊は、全く安心しきって安らかに寝ている吉田茂をみて、暗殺するのは忍びないとあきらめたとの逸話を聞いた。

しかし、賊の侵入する危険性は続いているため、寝室の窓側の隅に、まるで忍者屋敷のように1階に降りる秘密の縦トンネルをこしらえ、1階の隠し扉から外に逃げられるようにしている。

このトンネルを吉田茂は使わずに済んだそうである。吉田茂は太っているので、もしそのトンネルを使おうとしてもお腹がトンネルにつかえて降りられなかったであろう。

旧吉田邸の主要部分は、近代数寄屋建築で有名な吉田五十八が設計しており、彼は葉山町の日本画家・山口蓬春宅も設計している。そういえば蓬春家の屋根も数寄屋作りで南側のガラス戸が大きく日差しが一杯入るように設計され旧吉田邸と似ていると思った。それから、旧吉田邸の周りを囲む森の小道を散策し、太平洋に向かって立っている吉田茂の銅像を見てサンフランシスコ講和条約のことを思い出し、邸内中央の庭園までひと巡りした。

庭園の傍に七賢堂があり、元勲7人(伊藤博文、岩倉具視、大久保利通、三条実美、木戸孝允、西園寺公望、吉田茂)が祭られていた。ハイキングはさらに、城山公園、平塚駅前まで続くが、今回ハイキングの総歩行距離(8,000歩位)を記して終わります。

 

 

【ハイキングレポート】第45回 東海道歴史散歩 「茅ヶ崎~平塚」編

1.日時  2017年5月28日(日)8:25逗子駅集合~14;30平塚駅前解散

2.スケジュール  ハイキング8~9Km

[ガイド]   湯田 明氏(ハイキング幹事・大西氏の学友、「東海道歴史散歩」を企画・案内)

JR茅ヶ崎駅北口・出発→ 一里塚跡・東海道松並木→ 円蔵寺→ 十間坂→ 第六天神社→鳥井戸橋(とりいどばし)→ 鶴嶺八幡宮(つるみねはちまんぐう)参道及び参道松並木→龍前院(りゅうぜんいん)→ 旧相模川橋脚→ 馬入橋→ 一里塚跡→ 平塚駅到着→昼食・土風炉(とふろ)

3.参加者 21名(ハイキングサークル会員14名、ご家族6名、ガイド1名)

4.ハイキングの様子等

◆前回の戸塚宿に次ぐ2回目の湯田ガイドによる東海道歴史散歩で、茅ヶ崎宿~平塚宿のハイキングです。天気に恵まれ、初夏の東海道・名所旧跡を楽しみながら散歩できた。

◆鶴嶺(つるみね)八幡宮に入る鳥居から始まる参道は、大きな松並木が残っておりそれらの木陰が涼しくて快適である。江戸時代には東海道は松並木が続き、歩行者にとっては現代の国道よりずっと気持が良い道だったと思う。鶴嶺神社の境内には、神奈川銘木100選の大イチョウ(樹高29m、幹周り9m)が威容を誇っていた。

◆龍前院(りゅうぜんいん)では、飛び入りで和尚様からいろいろ昔の話が聞けた。墓地には、立派な五輪塔十基が整然と並び、頼朝が馬入橋で落馬し死去された責任を取って切腹した警固の武士の墓であるとの説明があり、特に印象に残っている。

◆旧相模川の木骨橋脚(約800年前に建設)は、関東大震災による液状化現象で水田の中から地上に露出し、それらを展示する場所で休憩後、長い馬入鉄橋を渡り平塚市に入った。

◆馬入橋を渡ったところで、東海道57次(東京から大阪までで宿場が4か所増える)の走破を試みている女性ランナーに出会った。彼女は1日40キロ走るそうである。その話を聞いてから我々の疲れた足も元気になり、ゴールの平塚駅到着が早まった。駅ビルの食堂で乾杯し美味しい昼食をしながら歓談が弾んだ。

◆今回のハイキング幹事大西ご夫妻、湯田ガイドにすっかりお世話になり、参加者全員感謝しております。